チョロン物語

ベトナム:ホーチミン(2000年11月18日〜11月25日)



2年前と同じ1118日にベトナムに入国した。

安宿街にあるのテータム通りに着いた頃にはすっかり日も暮れていた。

プノンペンのサダ・ゲストハウスで一緒だったコウジ君とヤスコさんと私の3人は、以前泊まったBich Thuyのドミに泊まることにした。

Bich Thuyに向かう途中、偶然麗江で一緒だったハジメ君とバッタリ会った。

荷物を降ろすと4人で食事に出かけた。屋台のぶっかけ飯が5,000D(約0.35US$)とインドシナ半島の中でも物価は安い。

テータム通りでは以前行きつけのレストランで働いていたソンとロアンに再会した。

 


サイゴン川に浮かぶ豪華観光船

この時、ホーチミンには当時アメリカ大統領だったクリントンが来ていた。私がプノンペンにいた時は江沢民が来ていた。隣り合った両国に米中のトップがそれぞれ訪れていた。プノンペンでは街中に中国国旗があふれ、お祭りムードだったが、ホーチミンでは警備こそ厳しくなってはいたが、お祭りムードはなかった。

街を歩くとシクロのドライバーたちが次々と「オッハー」と声をかけてくる。誰が教えたのか「オッハー」はシクロたちの間ですっかり流行っていた。

 

ハジメ君と中華街のチョロンへ出かけた。チョロンには思い出があった。

2年前、友人のタク君とクニちゃんと3人でチョロンのビンタイ市場のとあるレストランに入った。言葉は通じなかったが、タク君のいつものノリですっかり打ち解けた。ところが、次に行くと食事代でぼられてしまったのだ。3人は重い気持ちになった。このままホーチミンを去ってしまっては嫌な思い出が残る。ベトナムを愛する旅人のプライドに火が点いた。そこで、3人は翌日再びその店に行った。今度はしっかり値段を確かめて注文。カフェ・ス・ダー(アイス・ミルク・コーヒー)が少し安くなった。そして、その店の人たちとは何事もなかったように友達になることが出来た。嫌な思い出を振り払い、楽しい思い出を残すことが出来た。

そのチョロンの店に2年振りに訪れた。一番えげつなかった松たか子似の人はいなかったが、あとはみんな揃っていた「ラン」と声をかけると驚いたような顔をしていた。

前のこともあるので値段を確かめて注文した。適正価格だ。

店にはツアー客と思われる欧米人が何人かいた。私とハジメ君は直感した。これは必ずやる。ツアーのドライバーがやって来て支払いとなった。すると、缶コーラが10,000D、フォー(麺)が20,000D(どちらも相場は5,000D前後)といわれていた。私とハジメ君は爆笑してしまった。隣の欧米人は笑みを浮かべ「本当はいくらくらい?」と私に聞いてきた5,000Dくらいじゃないかな」というと、ドライバーは血相を変えて文句を言っている。相場を知られてはまずいらしい。30,000Dといっても2US$ちょっとだ。欧米人は笑いながら30,000Dを払っていた。

 


トアンさん(右)と記念写真

ハジメ君の紹介でトアンさんというベトナム人と出会った。トアンさんはフエの『BINH DUONG』という日本人宿のスタッフだったが、独立してホーチミンでゲスト・ハウスをオープンするという。日本語が堪能で、引ったくりに遭った日本人に嫌な顔ひとつせず、付き添って公安に行くなどとても親切だった。

 

同じドミのヤスコさんは姉御肌で話し好きな人だった。よく深夜まで話し込んだ。色々話を聞いてもらって随分と気持ちが楽になった。

4度目のベトナムはこうした出会いと再会に包まれてスタートした。


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