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麗江に着いたのは夜11時を回っていた。降りしきる雨の中タクシーを拾い、四方街へと向かった。 麗江の旧市街である四方街はその街並みが世界文化遺産となっていると共に、安宿の集まる地域でもある。私はそのひとつ、中国人と韓国人の夫婦が経営する『サクラ・ゲストハウス』に泊まることにしていた。 幸いサクラ・ゲストハウスはすぐに見つかった。空腹の私は同経営のサクラ・カフェでキムチ・チャーハンを食べた。
同じドミにはハジメ君という旅行者がいた。ハジメ君と彼の友人のフミオ君と私の3人で近くのブリッジ・カフェでコーヒーを飲みに行った。その時、フミオ君の言葉に私は驚いた。 「敦煌のニコニコ食堂で情報ノート読んでたら、全日本プロレス崩壊って書いてあったんですよね。俺、全日ファンだからそれ知ってショックで寝込んだんですよ」 まぎれもなく、それを書いたのはこの私だった。 私もそのニュースを聞いたときはショックだった。馬場さんが築いた全日本プロレス。そして、それを支えたジャンボ鶴田。この両雄がこの世を去った直後の三沢光晴を中心とした大量離脱。常時出場できるレスラーで残ったのは、川田利明と渕正信だけだった。それを私は敦煌で情報ノートに書き残したのだ。 情報ノートの影響力を知ったと共に、それを読んでくれた人と何千kmと離れた地で出会うことに旅の不思議さを感じた。 驚くことはまだあった。ハジメ君は門口君、不良娘炳兒と知り合いで、フミオ君は敦煌で出会った栗田君、そしてカシュガルで出会ったまきまきさんと知り合いだという。旅人のつながり、これも不思議なものだった。
2日続いた雨も3日目にやっと上がった。やっと落ち着いて街歩きができた。 古い街並みにカフェや土産物屋が立ち並ぶ。日本でいうと倉敷といった感じか。観光地化され過ぎだと批判の声も多いが、私はこうした雰囲気は好きだ。 その夜、宿で寛いでいるとオーナーが血相を変えて飛び込んできた。そして「火事! 火事!」と叫んでいる。私とハジメ君は急いで外に出てみた。 宿から出ると、すぐ近くの建物の2階がすでに大きな炎に包まれている。私たちの宿にはまだまだ延焼には遠かったが、とても対岸の火事としては見られない距離だ。 消防車が来るまでの間、バケツリレーで水をかけているが、まさに焼け石に水だ。あっという間に隣の2階にも燃え移った。あと1軒隣に移ったら私も逃げる準備をしなければならないかもしれない。反対側の隣にある、銀行の2階にも燃え移った。電線が焼けて火花が散っている。 どれくらい経ったろうか、やっと消防車が来て消火活動が始まる。火は裏の建物にまで及んだようだ。古い建物が密集しており、延焼が速い。消防車も回り込めず、正面からの消火活動しかできなかった。世界遺産が燃えてゆく。
煙で月が見えなくなる。昨日までは雨だったのに。やっと晴れた日に火災が起こるなんて。 火は30分ほどで鎮火した。時間はすでに深夜になっている。出火した建物は内部全焼だ。幸い怪我人は出なかったようだが、火事の恐ろしさを目の当たりにした。ついさっきまであった建物がなくなったのだ。 宿に戻っても皆興奮しているのか、なかなか部屋に戻ろうとはしない。宿の韓国人の女将を中心に、サクラ・ゲストハウスの防災について意見が交わされていた。 翌日、2階を焼かれた両隣は何事も無かったように営業していた。
ビザの2度目の延長を、ここ麗江ですることにした。2度目の延長は、場所によっては断られるらしいが、麗江では簡単にできると聞いていた。 その日は土曜日で延長の業務は休みだったらしいが、担当の公安のご好意で手続きを行ってくれた。書類を数枚書かされ、無事延長を完了した。 |
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