79歳のバックパッカー

中国:ラサ(2000年8月13日〜9月8日)



ヤク・ホテルの前に時々チベタンがお土産を売りに来る。私は象をかたどったネックレスに目をつけた。

同じドミの田澤君と値段を相談してみたところ、15元(約1.8US$)くらいだろうという結論に至った。

実際に値段を聞いてみると「80元(9.8US$」という答えが返ってきた。そんなに高いものならいらないというと「いくらならいいんだ」と聞いてくる。私は答えた。

「5元」

ここまでえげつない値切りは初めてだ。

「この人5元なんて言ってるよ」などと言いながらも60元でどうだ」と言う。

「いや、7元だ」以下売り手のやり取り。

50元」「8元」45元」10元」40元」12元」30元」「いや12元」20元」15元」15元…OK

売り手は全く悔しそうな顔をしていなかったところから見ると、15元でも安くは無いのだろう。値段とはあらかじめ自分で決めておくものだとこのとき思った。

 


温泉街で出会ったチベタンの尼さん

スノーランド・ホテルに泊まっている人から温泉に誘われた。ケースケ君・マリコちゃんとの温泉行きが実現できなかったので行くことにした。

温泉は郊外にあり、悪路のためランクルをチャーターしなければならなかった。

早朝出発したランクルは砂利道や時には川の中を走り、約5時間で温泉に到着した。標高4,000mの温泉だ。露天なので水着着用ではいる。

いい湯加減だった。時々蛇が出るのが難点だったが。

 


79歳のバックパッカー水津さん

ヤク・ホテルに一人のおじいさんが遊びに来ていた。

その方は水津さんという79歳の年金パッカーだった。

定年になった60歳から旅に目覚め、70歳代になってからスカイダイビングやラフティングなどにも挑戦したという。南米では首締め強盗にも遭い10ヵ月南米に行ってて、帰ったら妹が死んどった」という。後日Tashi 1レストランで読んだ『旅行人』2000年5月号に水津さんのインタビュー記事が出ていた。

8月29日にラサで行われたショトン祭のあと、水津さんもヤク・ホテルのドミに移ってきた。食事のメンバーにはいつも必ず水津さんの姿があった。

ヤク・ホテルではカイラスに行くグループとネパールに行くグループが買出しなどの準備をしていた。見ていてとても楽しそうだ。水津さんはカイラス組にいた。

 


ショトン祭。デプン寺でのタンカ開帳式

カイラス組が出発した翌日、エベレストB.C.に行っていた亮児君が帰ってきた。亮児君は北京で留学している学生でカシュガルで出会った。私より一足先にラサに着いていて、ヤク・ホテルに着いた私を出迎えてくれた。

土産話を聞きにこれからエベレストB.C.に向かうネパール組のZOMとチャイを飲みに行った。

ZOMはカイラス組ののりちゃんと共に以前昆明の大学に留学していたという人だ。ZOMとはよく、かつてフジテレビ系で放送していた『ウゴウゴ・ルーガ』の話で盛り上がった。

亮児君から思いがけず「鳥葬を見に行かないか」と誘われた。鳥葬を見られる所は前に行った温泉の近くでやはりランクルをチャーターしなければ行けない所だ。金銭的にあまり気が進まなかったが、亮児君の熱意と恐いもの見たさで行くことにした。

 


ヤク・ホテル屋上から見たチベタンの生活
 

ネパール組も出発してしまうとヤク・ホテルも寂しくなってしまった。

そんな思いでいつものようにキレイ・ホテルにメールをしに行った。

「太田さん!。呼ばれて振り向くと、なんとヒッチの相方になる予定だった門口君がいた。

悪天候で崩壊した新蔵公路の復旧をカシュガルで待った彼は、無事ヒッチでカイラスを回りラサに到着したのだ。私は自分のことのように嬉しかった。

その翌日ヤク・ホテルに移ってきた門口君は、鳥葬の話を聞き一緒に行くことになった。

 


ラサにはムスリムもいて、モスクもある

鳥葬に行くはずのランクルは何を勘違いしたのか前に行った温泉に着いてしまった。そこから急いで鳥葬場に向かった。標高の高いチベットでの上り坂はきつかった。遅れをとった私が着いたときにはすでに鳥の群れが遺体をついばんでいた。

10分とかからず遺体は真っ赤な骨となった。鳥葬は何も残さないのが鳥葬の鉄則で写真を撮ることすら許されない。残った骨も全部砕いて粉と混ぜて鳥に食べさせる。いよいよ頭蓋骨というとき、皆が注目した。一番恐いところに注目するのは皆一緒のようだ。一気に砕かれた頭蓋骨から真っ赤な脳が出てきた。

 

鳥葬からの帰りはランクルのエンジントラブルでえらく時間がかかってしまった。ゴルムド〜ラサ間を思い出す。

ヤク・ホテルに帰ると、カイラス組が帰って来ていた。こちらも道が寸断されやむなく引き返したという。水津さんも帰ってきた。

翌日成都に飛ぶことを決めていた私に水津さんと仲の良かった若林君とのりちゃんが「太田さん、成都行き延ばしましょうよ」と言ってくれた。

孤独感に苛まれることの多かったチベットで最後にこんな温かい言葉をもらえるなんて。嬉しかった。たとえその言葉が冗談であったとしても、私の孤独感を吹き飛ばすには充分だった。

一人じゃない。明日からまた旅立てる。


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