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そこは中国とは思えなかった。トルコ系民族のウイグル人が大半を占め、街にはアラビック系のウイグル文字があふれ、ウイグル語が飛び交う。 其尼瓦克賓館(Qiniwake bingguan)では門口君、炳兒、そしてなんとソウルで出会った遠藤淳君と再会した。
遠藤君は一度カイラス方面をヒッチで目指したが、悪天候で道が崩壊し復旧に1週間要するという事で一旦カシュガルに引き返してきたという。先行きに不安がよぎる。 翌日門口君と炳兒がパキスタンに向かった。パキスタン・ビザの不要な韓国人の炳兒はそのまま西を目指し、国境で1週間のビザを取って行く門口君は1週間でカシュガルに戻ってくる。私はヒッチの相方となる門口君の帰りを待ちながら、カシュガルでのんびりするつもりだった。 そして、遠藤君もカイラスに向けて2度目のトライをしに行った。
ある日、私は同じ宿の新家さん、“島”好きのユウさん等と食事に出た。そしてその時たまたまギルギットで起きた日本人旅行者の死亡事故の話題になった。なんとその亡くなった旅行者は新家さんの友人だという。 彼はその事件が気になり、パキスタンに行ってきたのだという(詳細はここ)。噂というのは実に残酷なものである。
中国で一人旅をしていて困るのは食事である。定食(快餐)形式の食堂は少なく、ほとんどの店が一品料理だ。その料は多く、一人で食事をするとおかず1品で食べる羽目になる。そこで人数を募って何皿かシェアすると安く、美味しく、楽しく食事ができるというわけだ。誰かが出て行くと新たなメンバーを探さなければならない。 そのメンバーの中にまきまきさんがいた。私と同じドミで、初めはおとなしく人見知りな印象だった。しかし、話してみるととても明るく楽しい人だった。話してみなければ分からない。 彼女を含め数人で食事に行った時、お互いのパスポートを見せ合うことになった。行ったことのない国のスタンプやビザを見るのを楽しみにしている旅行者は少なくない。そして、パスポートの写真とのギャップを見るのも…。
まきまきさんの写真は今の本人とそれほどギャップはなかった。しかし、誰かに似ている。そうだ、SPEEDの島袋寛子だ。本人も何度かそう言われたらしい。見れば見るほど似ている。 彼女は普段全く本を読まない私に1冊の分厚い小説を残し、パキスタンへと向かった。 その後彼女は「女性は脂肪に魅力がある」という私の個人的な意見に応えて、メールが来るたび脂肪の増減を報告してくれた(彼女は決して脂肪は多くはないのだが)。そんな人柄が脂肪以上に魅力的だ。
まきまきさんと入れ違いで門口君がパキスタンから帰ってきた。 ところが、体調が悪いらしい。留学生のケイちゃんを通訳に病院に行くと慢性胃腸炎の一歩手前だという。医者に「しばらく肉は食べないように」といわれ、「何日くらいですか?」と訊ねたところ「3日」という答えが返ってきた。3日を長いと感じた門口君が「えーっ」というと医者は「じぁ、2日」と答えたらしい。中国は絶食の日数も値切れるようだ。 その後も体調が悪いなりにも、カイラス行きの準備を進めていた。食料の買出しも済み、あとは私が防寒具を買うばかりとなった。しかし、私はなぜかそれがためらわれ、先延ばしにしていた。 その予感は的中してしまった。カイラスに向かった遠藤君が帰ってきてしまったのだ。 彼は悪路による渋滞に巻き込まれながらも前に進んでいったが、ついに洪水で川と化した道に行く手を阻まれた。そして、反対方向の橋が崩壊、孤島となった路上でトラックと共に3日過ごす羽目になり、餓死の危機に瀕したという。何とか帰る方向の橋を人がやっと通れるだけ直し、新たにトラックをつかまえて帰ってきたのだ。 復旧まで3週間かかるという。 カシュガルに2週間滞在した私は、これ以上待てなかった。カイラスの道へは絶たれた。 復旧を待つという門口君には申し訳ないが、私はルートを変更することにした。 「カイラスは選ばれたものだけが行ける」と誰かが行った。私は出直しを命ぜられたようだ。 |
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